正観世音菩薩様のお言葉 聖なる 轍
「 聖なる轍とは、自らの本質に立ち返られます経緯を越えて辿り着かれ
るものです。人はこの星で惑い・また自らの目標なるものを掲げられてそ
れを掴み取ろうと格闘の中で生きておられますようなものです。
真なる個々の道筋がどこにあるのかを見通しきれずにただ惑われておら
れますことに我等高次の聖なる意識は常に申しあげるものです。自らが
自らの行く道に意識の経緯の筋をお通しになられなき限りは常に迷路は
つづくものですと。
機軸というものは、(それは宇宙を貫かれます循環の法則であります。)
何事にも公平であり全体に渡りているものです。人は表層のみを捉えて、
それは幸福であるとか不幸である、なかには罰が当たったものであると
捉えられます。しかし遥かなる高らかさから我等が見通しますならば、す
べては非常に大きな経路のなかで育まれておられます最中であると申
すものです。
我等の価値はこの星の小さな個に固執なされた枠をかけ離れて超えた
ところにあるものです。人は個に固執し、自らのみを救おうとなされます
が故に救われません。この星の小さな意識は個の救済から未だ昇華を
成されておられません。小さなことです。人が如何に誰かより優れゆくか
を例え多勢のなかで鮮やかに証明をなされたといたしましょうとも、我等・
また真に神ちかき高次にはそれらの小さなこの星の誉れなるものをその
ままに聖なる誉れとはまた別なる視野で捉えゆくものであることを告げま
しょう。賞賛を求められますならば、自らを真には称えておられません。
その枯渇は他者からの誉れを求めゆくことにより癒されますことを自らへ
与えようとなされておられますと伝えましょう。
この星の道理なるものは、未だ聖なる域に到られてはおられません。
この星の慣習・意識の在り様を我等は決して否定しているものではあり
ません。しかし未だ聖なる成熟にいたられておられなきことを真に伝えゆ
きましょう。
悟り・覚醒と言葉で如何にそれを望まれましょうとも、真なる極めとは意
識の根底からの昇華であり、個々の小さな所望・成功を掴みゆくことを遥
かに越えた聖なる本来の慈悲慈愛・無条件の愛へと立ち返られますこと
です。そして聖なる強さを持たれて、未だこの星が到達しえておられなき
聖なる融和・聖なる根底からの平和への聖なる礎となり、自らをも他者を
も真に公平に共に引き上げながら、より聖なる高き英知を紐解かれことを
告げましょう。
この星のみならず全体(全宇宙)の意識の連動に添われながら、本来の聖
なる使命・聖なる自己の果たしへと目覚め参られ、その灯火へこそ立ち上
がり参られますことを掲げゆくと伝えましょう。それなくしてどうしてそこに
居られましょうか。
目覚められますよう。目覚められますよう。真なる道行とは根底からの見
開きなくしてどうして極めゆかれましょうか。小手先の器用なる生き方ば
かりを学びゆかれましょうとも、根源なる自己の目醒めをなさらずして真
なる道は歩みきれないと告げましょう。 正観世音菩薩 」